フィリピン1〜6回目

 ◆観光
    ●マニラ/ロビンソンデパート
     
     ホテルの横にあるデパート            カトリックの教会が併設されています      小さな植物園もある

     '95当時はマニラで(おそらくフィリピン全土で)一番大きなデパートだったと思います。
     普通に日本の百貨店のような感じで、唯一本物(?)のブランド物が買える場所でした (^^;)
     '04現在はSMデパートなど、日本の百貨店の規模を大きく超える‘メガマート’と呼ばれる超巨大デパートがあちこちに建ってます。


    ●マニラ/ボーリング
     
     マニラ市内で出来る健全な遊びはボーリングぐらい(笑)


    ●タガイタイ
     
     初めて見たジャックフルーツ           踊らされました (*`∧´)             タール湖とタール火山

     タガイタイにはタール湖という火山の噴火で出来たカルデラ湖があり、湖の中央には世界最小の活火山タール火山があります。


    ●サンタ・クルス
     
     テラピアの素揚げ、ウロコもすべてついたままです (*_*;)

     


    ●パグサンハン
     
     ここの川下りは有名                この細い船は安定性も乗り心地も激悪    船頭がひたすら押す

     
     途中にある休憩所                  イカダに乗換え、この滝に突っ込みます

     ここは、映画「地獄の黙示録」の撮影に使われた場所らしく、かなりの秘境です。
     ‘川下り’が有名なんですが、実際は川を上って戻ってくるだけ。
     この’川上り’が大変で、船頭がひたすら船を押します。
     そして、ことあるごとに「疲れた、水が欲しい、お腹がすいた」を繰返し、チップをねだり続けます (-_-)
     川の一番上流は滝になっていて、船からイカダに乗換え、滝の中へイカダごと入って行きます。
     でも、これはハッキリ言って無茶苦茶、もちろん全身ずぶ濡れ、それどころか木などが流れてきたら死にます (X_X)


    ●タナイ
     
     釣りをしに行きました


 ◆仕事場
    ●副社長宅
     
     副社長シンさんの自宅              もちろんプールもありますよ           ダイニングは円卓

     
     今は亡き会長さん ↑

     お兄が勤めている会社と技術契約しているフィリピンの会社は、中国人一族のオーナー会社。
     お爺さんが一代でこの会社を築いた会長。
     その息子達5人が社長以下経営陣です。
     フィリピンで最も大きなゴム会社なんですよ。


    ●会社
     
     バレンズゥエラにある工場、敷地には牛が放し飼い、非常時の食料らしい…

     
     間接スタッフたち                  直接スタッフたち

     
     バイクや車を持ってるのは極々一部の従業員だけ

     トヨタがフィリピンで車を立ち上げると、この会社にゴム部品の発注がくるので、技術支援という形で出張します。
     日本で設計された部品を、現地で製造できるようにするのがお兄の仕事です。
     実際に物が作れるようになるまでは、帰れません ρ(- -、)

     お兄の専門は『EPDMゴム材料と表面処理剤の開発及び生産技術』ですが、フィリピンでは専門、担当などと言ってられません。
     原材料調達から設備、品質管理までなんでもやります。
     と言うか、やらないと帰れないし…。

     この会社には日本人はおろか、日本語を話せるスタッフも居ないので、適当な英語に日本語とタガログ語を混ぜての会話。
     体だけでなく脳もクタクタになります (*_*)      


 ◆食事
    一族が中国人なのでフィリピン滞在中は朝昼晩すべて中華料理でした。
    朝から「これ、ヘルメット?」てサイズのドンブリで肉団子入りのお粥。
    昼は車で中華レストランへ、夜は兄弟が集まり仕事の話をしながら高級中華料理店で3時間ぐらいかけての夕食。
    これが毎日毎日繰り返されます (>.<)

    日本人向けにアレンジされていない中華料理は、脂っこく、匂いがキツイ。
    しかも量がハンパじゃない (`0`)
    テーブルを一杯にするのがステータスらしく、5人で行っても10人で行っても同じ量を注文する上、残すと失礼にあたる。
    (不味いから、残したという意味になる)

    ハッキリ言って食事が一番の拷問でした (- -#)
    苦しんで、苦しんで、太る、最悪です (T。T)

    何度か食事のバリエーションを変えようとしたんですが、社長達が行く店以外はホントに酷く食べれたもんじゃないんです。
    ラーメンは、パッサパサで揚げ麺一歩手前の状態、スープはほとんど味が無い。
    ファーストフードは、パンに鶏肉を挟んだだけ。(ソースや野菜も無し)
    日本料理があるって話を聞き行ってみると、ざるそばのタレが炭酸の抜けたコーラでした (;¬_¬)


 ◆その他
    '04現在もそうですが、エストラダ大統領時代は今よりもさらに貧富の差が激しく、中流階級がほとんど居ない。
    ‘金持ち’か‘貧乏人’という二分化した国でした。

    日本人が外を歩くのはとても危険(腕時計を盗むため、斧で腕ごと切落とされる事件などが多発していた)なので、
    ホテル⇔会社⇔レストラン間のみを車で移動する毎日。

    マクドナルドですら入り口に機関銃を持った警備員が居て、窓には鉄格子。
    その外には半分裸の子供たちが群がっている。
    道路の植込みには、足や腕の無い人達が寝そべり、車が信号で止まるとお金をくれと張り付いてくる。

    会社の従業員達も、多くは工場の周りに自分達でバラックを建てて住んでおり、一ヶ月の給料は5,000〜8,000円。
    物価は日本の1/10以下です。

    かたや、社長達は高さ5m以上の塀でグルッと囲まれた金持ち地域に住んでいて、そこは東西南北に一ヶ所づつ入口があり、
    機関銃を持ったガードマンが24時間いて、身分証がないとその地域には入れない。
    そこでの物価は日本と同じで、社長達の邸宅は2〜3億円、兄弟それぞれが自分の家を持っている。

    まさに、天国と地獄、貧乏人はどう頑張っても這い上がれないシステムです。

 

TOPへ 旅行記トップへ サイトマップへ


SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送